中卒大工見習から17棟年間家賃収入8000万円!
不動産ブロガー・ishiが不動産投資に目覚めたきっかけとは?
中卒不動産ブロガー・ishiが誕生した理由【前編】

2020年1月9日公開(2021年1月29日更新)
ザイ投資戦略メルマガ編集部

不動産投資ブロガーとして人気を誇るishi氏。これまでメディアにはほとんど露出がなく素性を明らかにしてこなかった彼が、生い立ちから中卒で大工見習として働き、不動産会社を経由して不動産投資に目覚めた経緯、そして不動産投資へのこだわりについて話した。前後編に分けて公開する。

現在は不動産会社の社長兼不動産投資家として活躍しているishiさん
現在は不動産会社の社長兼不動産投資家として活躍しているishiさん

他人と同じが嫌い。不良仲間と距離を置くため隣町が大工修業へ

-----ishiさんが不動産投資に出合うまでの経緯、さらにもっと溯って生い立ちから教えていただけますか?

思えば、幼少期から周囲と同じようなことをするのが嫌いで、小学3年生の頃にはすでにランドセルは背負わず、ナイキのスポーツバックを片手に通学するような子どもでしたね。中1の夏頃まではちゃんと通学していたけど、その後は授業にはほとんど出席せず、放課後になってから顔を出して、毎日サッカーばかりをやっていました。

もっとも、実は正式に所属していたわけではありません。陸上部をクビになってヒマだったから、友だちが入っていたサッカー部の練習に混ぜてもらっていただけです。

そして、中学卒業後は親戚のツテを頼って、宮大工の修業経験もある棟梁の弟子になりました。子どもの頃からモノ作りに興味があったし、小学校でも図工の作品をよく表彰してもらっていたように手先も器用だったからです。

親方が営む工務店は隣町にあったのですが、中学時代の不良仲間たちと縁を切りたいという思いもあったので、あえてそこを選びました。以後、約8年間にわたって親方の下で近隣の農家の家屋を建てるという日々を送りました。

その多くは、柱1本だけで50万円もするような豪勢な入母屋造りの家で、1年?1年半を費やして完成させます。ドアなどの既製部材をはめ込んでいく作業が主流となっている最近の住宅とは違い、自分自身で材木を削り出してすべてを作り上げていくわけです。

-------大工の修業時代には、苦労したり失敗したりしたこともあったのでしょうか?

もちろん、いろいろと大変なことも多かったですよ。「親方をぶっ殺して辞めてやろうか」とさえ思うほど、頭にきたケースもありました(笑)。

それに、施主はもっぱら近隣の農家なのですが、そのトイレは汲み取り式で、自分は清潔好きだから、お釣りが戻ってくるのが怖くて使えなかった(笑)。簡易トイレだった場合にしても、昔はこちらも汲み取り式でとにかく臭かった。

大工時代があるからゼロからアパートを建てることもできる


とはいえ、 大工時代の経験があるからこそ、今の自分があることは間違いありません。たとえば墨付け(図面に従いながら材木の加工箇所にマーキングを施す作業)とか、最近の大工がまったく知らないような知識や技術を身につけられた最後の世代でした。

だから、不動産の分譲・開発を本業とした今も、昔の経験を生かして何から何まで自分だけでこなせます。お客さんの意向をもとに自分でデザインを考え、パソコン(CAD)で図面を引いて一級建築士にそれを清書させるから、コストを抑えながら希望通りの物件を作ることができ、お客さんに喜んでもらえるわけです。

デザイナーや、工務店などに分離発注すると、当然ながらコストはかさみます。デザイン料だけでも100万円とかいった金額になるケースもありますから、その予算を確保するために工務店は割安な材料を用いて品質が落ちてしまいます。

こうしてあらゆることを自分自身で手掛けられるので、自分の事務所もとことんこだわった造りになっていますよ。内壁は塗り壁ですし、床は御影石、スペイン製のペンダントライト(1つ5万円)も自分で輸入したもので、もちろんデザインも自分で行いました。

こだわりのシャンデリアだけではく、壁にはネット接続されたモニターが。不動産屋とは思えない内装だ
こだわりのシャンデリアだけではく、壁にはネット接続されたモニターが。不動産屋とは思えない内装だ
大理石の床。内装にはあちこちにishi氏のこだわりが見て取れる
大理石の床。内装にはあちこちにishi氏のこだわりが見て取れる


 

「くだらないオトナにはなりたくない」と不動産投資を開始!

-----不動産投資の世界に足を踏み入れたのは、いつ頃のことなのでしょうか?

大工時代の最後の約2年間は親方が入院してしまったので、手間請け(部材の仕入れは行わずに建築のみを請け負う仕事)を担うようになりました。それがなかなかの稼ぎになったうえ、実家暮らしで生活費も限られていたこともあって、自然とお金は貯まっていきました。

一方で、もともと自分にとって大工は、一生涯の仕事にはならないと感じるようになっていました。酒の席で飛び交うのはいつもパチンコと女の話ばかりで、そのようなノリに嫌気をさすようになっていたからです。

そもそも自分はお酒も飲めないし、パチンコもやりません。ついには嫌で嫌でたまらなくなって、「くだらないオトナにはなりたくないな!」と思いました(笑)。

自分の場合は“学”もなかったし、若いうちはとにかくガマンして頑張るしかない。だけど、ある程度のお金が貯まったら、この世界からは足を洗おうと決めたわけです、

ちょうどバブルが崩壊して地価が下がり続けていた頃で、巷には不良債権があふれ返っていました。そこで、緻密な戦略があったわけではないのですが、漠然と不動産に投資して一儲けしようと思いつきました。

数ある投資の中でも、不動産は手堅いのではないかという印象も抱いていました。そして、24歳だった1997年に築7年、最寄り駅から徒歩5分の物件(ワンルーム6世帯アパート)を買ったら、利回りにして12%もの家賃収入が得られたのです。

その頃はすでに大工を辞めており、建設会社の現場監督をやっていました。会社にはFAXで不動産情報がいろいろと届いていて、たまたま目に入ったのがその物件でした。

頭金1000万円で初の融資をゲット!

-----お金を貯めていたとはいえ、キャッシュで一括購入したわけではありませんよね。ローンのほうは問題なく組めたのでしょうか?

さっそく某大手銀行に融資を申し込んだら難色を示され、「マイホームを買うなら住宅ローンを組めるのに、賃貸物件を買う場合はダメだなんて妙な話でしょ!」と言い返したものの、聞く耳を持ってくれませんでした。だけど、別の大手銀行に話を持ちかけてみたら、偶然にもその物件を不良債権(担保)として抱え込んでいたところだったのです。

そして、「売り主はついて回るものの、新規の融資は大丈夫」だという話になり、親を説得して保証人になってもらいました。2800万円程度の物件だったので、1000万円の自己資金を頭金にし、残りを返済期間15年のローンで調達できました。

ただ、当然ながらあの頃は、自分の中で投資対象として妙味があるかどうかに関する判断基準が定まっていませんでした。単純に「いいな!」と思って買って、実際に高い利回りを得られたわけですが、今の自分から見れば、「あれじゃあ、まだまだ高い」という判定になりますね(笑)。

ともかく、バブル崩壊までに不動産を買っていた世代は大損していたうえに借金も抱えていたから、「おっかなくて手を出さない!」というのが90年代後半の風潮でした。その点、自分のような若い連中は借金も背負い込んでいなかったし、「別に価格が下がってもいいや」という気楽な感覚で、世の中の逆を張ったのがよかったみたいです。

ざっくりと計算すると、年間のローン返済総額に対し、見込まれる年間の家賃収入は満室の場合でその約2倍。「入居率が半分まで下がったとしても、ローンを払っていけるだろう」と思ったので、特に不安は感じませんでした。
(後編に続く)

(取材・文/ザイ投資戦略メルマガ編集部、大西洋平 撮影/和田佳久)

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