暴走族から医学部、プロレーサー、大手商社、
不動産投資で資産80億円! レーサー投資家の
波乱万丈な半生 ---前編---レーサー投資家の不動産投資 ----前編

2020年2月18日公開(2021年1月29日更新)
ザイ投資戦略メルマガ編集部

東京都在住の「レーサー投資家」さん(52)は、総投資額約80億円、所有物件40棟600室、年間家賃収入7億6000万円を得る。いわゆるメガ大家としてクローズドな投資家コミュニティで名の知られた存在だ。商社マンとして働き投資で財を成した輝かしい経歴の裏には、波乱万丈な半生があった。

波乱万丈の人生&不動産投資遍歴のレーサー投資家さん

暴走族から医学部受験、そしてプロレーサーへ。
「事実は小説より奇なり」の人生の先にあったもの


ーーさきほどガレージで車も拝見させていただきました。レーサーの経歴をお持ちとのことですが、どのようなきっかけで?

元暴走族でバイクに乗ってたんです。金髪トサカ頭で指揮車でをやってて。その当時通ってたバイクショップがあったんですけど、そこのおっさんたちの改造はどちらかというとスピード系なんですね。バックステップというステップパーツを取り付けてレース仕様にしてたり。だから店に行くと「君のそれ、ちがうでしょ。こういうのやってみない?」とレーサーへの道を紹介してもらった感じです。

ーーすいぶんとヤンチャな少年だったんですね。でもその後医学部に合格されてるわけですよね?

私は15歳で父親が他界して相続を経験しているのですが、その時に運良くいい弁護士先生と知り合えて、「君が相続する額は、人の一生の稼ぎを超えるかもしれない、こんなこと(暴走)やってる場合じゃない」と諭され更生して進学するキッカケになりました。相続で親戚の大人達とやりあうこともあり、きちんとした知識や考え方が必要だと痛感していました。

ーーそれでも医学部合格はなかなかできないことです。どんな勉強をしてたのですか。

ポケットにZ会の『旬報』を突っ込んでて時間があれば読むようにしていました。僕はバイクに積んだ無線機で警察無線を傍受して仲間に指示を出す役割をしていたのですが、後続がなかな到着しないこともある。そんな時に『旬報』を取り出してヘッドライトの明かりで勉強してました(笑)。問題に対する考え方を学べる教材なので、あれだけ読んでおけば東大にも受かりました。父が死んで母子家庭だったから教材を買うのも節約でZ会の添削サービスは利用しませんでした。

ーーその勉強法で合格できるのはやはり凄いと思います。相続についてもう少し聞かせてください。裕福な家庭でしたか?

いえ、裕福な家庭ではありませんでした。父から「自分が幼い頃はお手伝いさんとお抱えの板前がいた」という話を聞くことはありましたが、僕が育ったのは普通のサラリーマン家庭。製紙会社で働く父の手取りは20万円くらい。それなのにスーツに40万かける道楽親父でした。母はパートをし、家族は家賃7万円のアパートでつつましく暮らしてました。親父が死んでからびっくりしたのが借金がめちゃくちゃあった。今で言う消費者金融。

もう一つ驚いたのが、私名義の土地が都内に100坪あることもわかった。どうやらひいおじいさんが、「長男の長男だから」と私が生まれた時に名義を登記していたらしいんです。親戚一同が親父名義と思ってた土地が、金髪トサカ頭の少年が相続したいた。親戚からすれば面白くないわけで、文字通り骨肉の争いを経験しました。今まで「敷居をまたぐな」と言われていた本家から急に呼ばれて、「ここにハンコつけ」「今すぐ印鑑証明もってこい」とか。18歳じゃわけわからないでしょ。
当時はバブルだったから皆目の色が変わるんです。だから、「これは、ちゃんとした人に相談したほうがいいかな」と頭を黒く染めて、先輩から借りたサイズが微妙に合ってないスーツを着て、弁護士に相談に行った。なので「不動産投資は2015年から始めたと」プロフィールに書いてますが、不動産に関する経験は普通の人より早かったと思います。

学生レーサーから総合商社へ

ーーその後、大学を卒業されて総合商社に入社されるわけですね。

レーサー時代に使用していたヘルメットと起業して作ったロゴ

学業の成績はそれほどじゃなかったけど、カーレーサーの経歴が面白いと思ってもらえたのか、商社から内定をもらえました。当時のレーシングドライバーで就職を選んだのは僕とあと一人くらいでしたね。バブル期でモータースポーツが盛り上がってて、F1横浜グランプリの誘致したりと羽振りの良い時代でした。悪く言えば金まみれ。19のガキが契約金で600万円ポンともらってた。他にも周回手当があって、テスト走行で一周ごとにいくらもらえたりとか。僕の場合、チームを食わせる必要もあったので、レーサーのほかに中古車の輸入販売をしたりと最終的に年収2000万円くらいあった。

ーーかなり魅力的な収入だと思いますが、レーサーを続けず就職したのはなぜですか?

母親の教えですね。「金持ちのマネして道楽息子みたいなことするな、堅実に生きろ」と。なので就職を選択しました。他のドライバーは、その後のバブル崩壊で経済的に死んでいったので母の教えを守って良かったと思います。ただ大変なこともありましたね。商社の初年度って年収400万円くらいなんですよ。額面で手取りで20万円ないくらい。前年度の所得を基に予定納税すると、お金が残らない。母親に頭を下げて金借りました。

ーー商社ではどのような仕事をしていたのですか?

子会社の管理や、都市開発、社内起業といろいろやりました。なかでも印象深いのが系列メーカーの再建ですね。僕がその事業領域に詳しかったこともあり10年以上アメリカに駐在して関わってきた。その時のプロダクトがローンチされて3年くらいたってようやく落ち着いて帰国できたのが、2015年くらい。そこから日本での不動産投資を開始することになります。

自宅一階にはお気に入りのランボルギーニが駐車

<後編につづく>(取材・文/栗林篤 撮影/山本祐之)

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