利回り20%を実現するカリスマ大家が
不動産投資を始めた理由
レッド吉田 VS 石原博光(1)

2013年8月9日公開(2022年8月12日更新)
TIMレッド吉田

新米大家のレッド吉田さんが、百戦錬磨の先輩投資家から、賃貸経営の極意を学ぶ本連載。今回のゲストは、平均利回り20%という高利回り中古アパートへの投資を軸に、約3800万円の家賃収入を得る石原博光さんです。起業家、そして著述家としても活躍する石原さんに、叶えられない夢はない?! 石原さんの次の夢やお金を稼ぐためのゲン担ぎまで、幅広いお話をうかがいました。

リッチな同級生と自分との違いにショックを受けた子供時代

レッド吉田さん(以下、レッド) 石原さんは、20代の頃から会社を経営しているんですね。おまけに、不動産投資の本を3冊も出版されているなんて、すごいですね~。今はどのくらい物件を持っているんですか?

左:恵比寿のIさんこと石原博光さん。著書『まずはアパート1棟を買いなさい!』がベストセラーになるなど、高利回りアパート投資の第一人者。 右:TIM レッド吉田さん。芸人として第一線で活躍する一方で、安定した収益源としてアパート経営を始め、現在満室経営中。

石原博光さん(以下、石原) 2002年から不動産投資をはじめて7棟72室まで増やしましたが、去年資産の入れ替えを行い、今は5棟56室に落ち着いています。満室時の年間家賃収入は3800万円くらい。北関東の中古アパートがメインで、購入時の平均利回りは20%を超えています。

レッド え~。会社も持っていて、家賃収入もそんなにあるって、最強じゃないですか。きっと昔から、カッコいい少年だったんでしょうね。

石原 いえいえ、生まれは新宿ですが千葉県の野田市に育ち、すごく地味な暮らしをしていたんです。父親が公務員で贅沢をさせてもらえず、ホテル王の息子とか、リッチな同級生と我が家の暮らしの違いに、ショックを受ける子供時代でした。当然お小遣いなんてありませんでしたよ。そのときの悔しさが原因で、「将来は社長になってお金持ちになるぞ」と決心したんです。

レッド 野田というと、あのしょう油で有名な町ですね(笑)。それにしても石原さんは、お金持ちの道に目覚めるのが早かったんですね。大家さんになる前は、どんなお仕事をされていたんですか?

石原 大学はアメリカに留学して、帰国後に小さな商社に就職しました。その頃は自分が大家になれるなんて思わなかったので、起業を目標に、死に物狂いで働きましたね。結局、1年10カ月で退社して、自分の会社を立ち上げました。

「失敗しても死ぬわけじゃない」と覚悟を決めて起業

レッド すごいバイタリティですね。お金持ちになりたいと思っている人はたくさんいますが、実際に行動できる人って少数だと思うんですよ。決意が固かったんですね。

石原 最初、会社の人に退職のことを話したら「会社は5年はいるものだよ」と言われたんです。でも、そのあとに相談した母から、「失敗しても死ぬわけじゃないから、やってみたら」と言われて、腹が決まりました。

レッド 僕もお母さんの意見に賛成! 少し違うのは、僕はもし死んでも、それが運命だと思っているんです。自分に非がなくても、亡くなってしまう方っていますよね。それなら、一度きりの人生を楽しんで、やりたいことにチャレンジした方がいいなあって思っています。ところで、起業した会社はどんな業種ですか? 不動産?

石原さんのチャレンジ精神旺盛な生き方に興味津々にレッドさん

石原 それが違うんです。僕はへそまがりなところがあって、10人がコレいいよ、といったらやりたくないタイプ(笑)。それで、あえてニッチな分野を攻めていこうと、商社時代から注目していたアメリカ製の化粧品の利権を抑えて、日本で販売するという仕事を始めました。

レッド 利権を抑えるって、儲かりそうですね~(笑)。でも、起業するにはお金が必要ですよね。そのお金はどうやって貯めたんですか?

石原 最初はお金がなくて、6畳一間の自室で、友達から10万円で譲ってもらったマック1台を元手にスタートしたんです。有限会社を作る300万円も用意できず、個人事業主から始めたくらい貧乏でした。ただ、取引先の社長の協力もあって、月の売上げは1カ月目の8万円から、半年後は6000万円、1年後は1億円と順調に増えていきました。

飲み代を我慢して現金で恵比寿にビルを新築

レッド やるな~、石原さん。1億円といったら立派な会社ですよね。社員さんも、一杯いるんでしょうね。

石原 いいえ、社員は僕一人です。人を雇ったこともあるんですが、僕には人の能力を引き出す力がないみたいで、自分でやった方が早いと思ってしまって。経理や物流等のアウトソーシングできるところはすべて外注して、判断の部分だけを自分でやるスタイルでした。

レッド 1億円の売上で社員一人って、カッコいいなあ。それだけの仕組みを作ったっていうことですよね。それにしても、それだけ急にお金が入ると、かなり豪快な使い方もしたんじゃないですか?

石原 いや~、一時期は1カ月に300万円も飲み代に消えるような生活を送っていました。20代後半でイケイケだったこともあり、「お金を自分の体に通すのはいいことだ」なんて言って、夜の街に繰り出す日々でした(笑)

レッド あ~、やっちゃいましたね(笑)そのお金があれば、もう1棟買えたのに~。

石原 ハハハ。本当にそうですね。でも、あるとき、そんな生活を虚しく感じるようになって、お金を形にして残したいと思うようになったんです。それで、恵比寿に小さいながらも3階建の自宅併用の自社ビルを建てました。ここは飲み代を我慢して、現金で買いました。


レッド 恵比寿のビルを現金買いって、すごいですね~。それが石原さんにとっての初めての不動産なんですね。どんなビルなんですか? 詳しく教えてください。

石原 ビルと呼べる規模でもなくてお恥ずかしいのですが…1階が事務所で、2階と3階が住居仕様になっています。もし商売が傾いたら、自宅部分を貸しだして生活費にあてようと思い、わざわざ外階段をつけて、それぞれ入口も分けました。当時は不動産投資という意識はありませんでしたが、けっこうちゃんと考えていたんだなーと思います(笑)

本業以外に安定した収入を求めていた自分に
不動産投資はぴったりだった

レッド なるほど。頭いいですね~。不動産投資の勉強をちゃんと始めたのは、そのあとなんですか?

石原 たまたま入った本屋で、1999年に出版された「サラリーマンの私が3年で2億円。驚異のアパート投資法」という本を見たのがきっかけです。借金をして中古アパートを買い、資産を増やしていく方法が載っていて、「こんな投資法があるんだ」と興奮しました。当時は不動産投資の本が今のようになかったので、貴重な情報でした。もう、何度も読みましたね。

先輩の「会社は5年はいるものだ」というアドバイスをものともせず、起業でも成功した石原さんの言葉は重みがある

レッド でも、ビルが建つほど商売がうまくいっているなら、大家よりもビジネスの方がもうかるんじゃないですか? どうして、大家を目指したんでしょう?

石原 実は、その頃からインターネットが普及し始めて、商品の寿命が一気に短くなったんです。昔はいいものは10年以上売れ続けたので、ある程度、売上の見込みが立ったんですが、ネット時代に入ってからは、先が読めなくなりました。それが大きな要因ですね。

レッド なるほど。どんなに貯金があっても、自営業だと安定的な収入がないから、不安があるんですよね。すごくよくわかります。僕も同じ気持ちで、不動産投資を始めましたから。それにしても、1999年って『金持ち父さん 貧乏父さん』が出る前ですよね。そんな頃から勉強していたなんて、やっぱりデキる人って行動が早いな~。

石原 危機感があったので、情報に対しても貪欲だったんです。本業以外の安定した収入が欲しいという気持ちに、不動産投資がピタッとはまったんですよね。

⇒第2回につづく

(取材・文/加藤浩子 撮影/和田佳久)
 

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